ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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行き逢う神のそれぞれ

ふと思ったことがある。

 

ぼくは道端でいろんな人に出会う。

 

見知らぬ人に声をかけられる。

 

道を聞かれたり、 世間噺の相手になったり、 助けてもらったり、 意味不明な挨拶を頂戴したり、 云々。

 

でもそのほとんどが、 今でもほんとうに見知らぬ人である。 著名人でもないし、 有名人でもないし、まったくの初対面である。 二度と三度とはお会いしていないから、 この世かあの世かもわからない。 でもなぜか、 その多くの出会った時の詳細を今でもずっと覚えている。袖触れ合うも他生の縁とはちと違う気がする。

 

その中には、あれはなんだろう? って思う不思議なことがある。

 

行き逢う神のそれぞれ

 

いちばん印象的なこと。

 

皇居の正面を歩いている時に、 向こうから恰幅のよいご老体が歩いてくるのが豆粒くらいの距離に伺えた。 ぼくをまっすぐに見つめて、 尋常ではない笑顔で歩いてくる気がした。 やっぱり見ている。 それに気付いた時でも、 ずいぶん遠くだ。 その日は日曜日で、 その道にはたくさんの人々が歩いているが、 そのご老体は誰にも挨拶などしない。 ご老体はゆらゆらとこちらに進んでくる。 近付くにつれて容姿が明らかとなる。 どっぷり飛び出た二段腹。 潰れた瓢箪のような顔の両端には耳たぶの垂れ下がった恐ろしい福耳。 一瞬恐くなる。 まあちょっとおかしな人なのだろうくらいに思って歩を進めると、 ぼくにすれ違いざま、

 

「こんにちは!」

 

右掌を顔の横に巨大に広げて、 異次元のような笑顔で挨拶をされた。 ぼくの前にもぼくの後ろにもたくさんの人がいるのに、 なぜぼくに?

 

おそらく恵比寿だか大黒だかだろう。 人ではない。 そう思った。

 

バカみたいだと思われるだろう。 でもそういう経験がたくさんあるんだよなあ。 ぼくは霊感とかはわからないし、 見えもしない。 でも神様みたいなものには出くわす。 それが果たして神とよばれるものかはわからないけれど。

 

 

 

異人論―民俗社会の心性 (ちくま学芸文庫)

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江戸のはやり神 (ちくま学芸文庫)

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月白貉