ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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一握の米 - ぼくひとりめし

朝起きてすぐに、何の計画も立てず、ふと思い立ってどこかに出かけたくなることがある。

 

ありませんか?

 

ぼくはある。

 

そんな時には、身支度もそこそこに、いてもたってもいられなくてまさに着の身着のままに出かけてしまうことがあるのだが、食べることが何よりも好きなぼくは、いずれお腹が空くことは無意識に危惧していて、必ず「おにぎり」をひとつかふたつは携えてゆく習性がある。

 

そういう有事に備えて、米は次の日のことまで考えて炊いておかないと、この急用のおにぎりが成り立たなくなってしまう。

 

子どもの頃に、親におにぎりを持たされる際には、必ずアルミホイルに包んであった記憶がある。 なぜアルミホイルだったのか今でも理由は知らないけれど。だからいまでもおにぎりを携帯する際にはアルミホイルに包みたくなるのだが、残念ながらこの日はアルミホイルがきれていて、ラップに包んで家を出た。

 

しばらくして、やはりお腹が空く。朝ごはんも食べずに家を飛び出してきたのだから、まあそりゃあねえ。

 

そんな時に、小脇に抱えたおにぎりをそっと取り出して頬張るのである。そのおにぎりの美味しいのなんのって、至極のひとときに間違いはない。

 

具など何も入っていない、塩と海苔だけのいたってシンプルなおにぎり、これに勝るものが果たしてあるか知らん。

 

ちなみにその米の塊の呼び方は、ぼくとしては「おむすび」ではなく、あくまで「おにぎり」派である。理由などない。

 

そう、多くのことに理由などないのさ、おにぎりと呼ぶ理由も、シンプルなおにぎりが美味しい理由も、ふとあてもなくどこかに行きたくなる理由もね。

 

そうなのだから、仕方がないさ。

 

一握の米 - ぼくひとりめし

 

塩と海苔のおにぎり。

 

 

 

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月白貉