ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ツチナメコ(Agrocybe erebia)- 松江城マッシュルームマップ

ぼくが子どもの頃、食事の際の味噌汁のバリエーションに、ナメコの味噌汁がわりと頻繁に登場した。

 

いまでこそナメコの味噌汁を美味しいと思うが、当時、好き嫌いがわりに多かったぼくは、ナメコの味噌汁はずいぶん苦手な味噌汁のバリエーションのひとつであった。

 

なぜ嫌いだったのかと記憶を遡ってみると、やはりひとつはナメコ特有のあの滑りのある食感であろう。味噌汁をすすった際に口に飛び込んでくるきのこの周囲が、まるでグンガン・エネルギー・シールドのようなトゥルトゥルする膜で覆われており、 きのこを口中に保持しようとする歯や舌の衝撃をなんなく跳ね除けて喉へと突入してゆくのである。

 

さらにはそのシールドが味噌汁の液体部分をも取り込んでいるため、なかなか大型のヌルヌルした液状の塊が、口中を通り抜けて喉へと向かうことになる。

 

その感じが、風邪などの際に発生する痰を、ゴクリと飲み込んでいる感触に似ているような気がして、喉に絡まる嫌な後味の感覚とダブってしまっていたのだ。

 

もうひとつは、今思えば自分自身の行動によるところが大いにあるのだが、やはりあの滑りが、アツアツ時の味噌汁の液体の熱を保持してしまうため、うっかり勢いよく飲み込んで口中や喉元を軽く火傷するということがあったためである。

 

そんな食うか食われるかの天敵のごとき存在だったナメコの味噌汁ともいまでは和解し、日々、快適な味噌汁ライフを送ってはいる。

 

話が完結してしまいそうなので、きのこの話に戻ろう。

 

というわけで、今回のハンティングきのこは「ツチナメコ」である。

 

ツチナメコ(Agrocybe erebia)- 松江城マッシュルームマップ

 

モエギタケ科フミヅキタケ属のきのこで、学名を「Agrocybe erebia」、漢字で書くと「土滑子」である。

 

傘の径は2cmから7cmほど、表面が湿っている時にはやや粘性を持ち暗褐色から灰褐色で、白色で膜質のつばを持っている。このきのこは市販されているナメコと同様に食菌であり、人によってはナメコよりも美味だと言う者もある。そしてやはりナメコというだけあって、滑りのある舌触りをしている。

 

子どもの頃というのは、舌や味覚が敏感なせいか、その食材の特徴である部分が逆に強すぎて欠点に感じてしまうことがある。まあよくよく考えてみると、幼いころには体内に入れるべきでない食物の基準が、そういう姿で子どもに襲いかかっているのかもしれないとぼくは思ったりもする。

 

一方では、大人になるに連れて、というか、精神や肉体が衰えてゆくにしたがって、人間の生体の機能が衰えると共に、味覚も鈍感になってゆく傾向にあるという話を聞いたことがある。それが、年を追うごとに食べ物の好き嫌いがなくなる理由のひとつだとか。

 

もちろん個人差はあるだろうが、一理ある話だとは思う。

 

ぼくは味覚や嗅覚においては今だにずいぶん優れていると自負できるが、今後果たしてどのような変化を遂げるのだろうか。いずれはナメコの滑りさえも感じられぬほど、衰える時が来るであろう。

 

まあしかし、その時こそはまさに、いざ死にゆく時であろうとあっさり思えるくらいの力量は備えているつもりである。それまでに思う存分、口中をナメコで滑らせねばなるまい。

 

そしてやはりナメコの味噌汁は「赤だし」に限る、さらには極細のキューブ豆腐をまみえ、その汁を注いだ椀を持って、いざ花咲き乱れる桃園を目指すのみである。

 

 

 

季節のなめこ図鑑 雨・四季編(特装版)

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月白貉