ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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対岸 - パラケルススの庭

『対岸』

 

友だちと葡萄酒をしこたま飲んで酔っ払って、その勢いで真夜中の湖に繰り出した。

 

真っ暗闇の湖の向こうに、ぼんやりとした光がちらついているのが見えた。「対岸に灯りが付いているね、これだったらあそこまで泳いでゆけるさ。」と背後から聞こえてきた友だちの声に振り返ると、そこにはただ暗闇が広がるばかりで、友だちの姿は見えなかった。

 

「お〜い、どこにいるんだよ?」とぼくが声をかけると、ずっと遠くの方から小さな声が聞こえてきた。

 

「いつだってきみは後ろばかり振り返るね、ぼくがずっとずっといつまでも、きみの後ろにいるとでも思っているのかい、ぼくはもう対岸にいるよ。」

 

対岸 - パラケルススの庭

 

 

 

対岸の君

対岸の君

 

 

 

月白貉