ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ナナイロヌメリタケ(Gliophorus laetus)- 松江城マッシュルームマップ

 「七色」という言葉には何かとらえどころのない不思議な魅力がある。

 

それは単にカラーバリエーションにめっぽう弱いぼくだけに限ったことではなく、誰しもが大小あれども感じていることであろう。

 

七色と聞いて想起するのが、まず「虹だ!」という人は多いと思う。

 

七色はいわゆる虹の色数とも言われ、日本では一般的に赤、橙、黄、緑、青、藍、紫がその七つだとされている。虹を見たことはもちろん何度もあるが、その際にぼくはきちんと色を認識して数えたことがないなあと、はたと気が付く。幼いころに虹の絵は何度となく描いたような記憶もあるが、今現在、「虹の七色を答えよ」という問題が何らかの試験で出題されても、まあ赤、青、黄、緑くらいまでは当てずっぽうでも言えるだろうが、すべてきちんと言えるかどうかは定かではない。ぼくが幼いころに描いていた虹が、定義されている虹の七色だったのかというと、おそらくそうではなかったのではなかろうか。虹の色なんてものは、ある意味で言うと個人が思ったように、好きに決めるべき事柄のように思う。ぼくはおそらく、ぼくだけの虹の七色を持っていたはずだし、今でも持っているのだと思う。物事というのは、みる人によって様々な色を見せるし、それでよいのである。

 

というわけで、今回のハンティングきのこは「ナナイロヌメリタケ」である。

 

松江城マッシュルームマップ - ナナイロヌメリタケ -

 

ヌメリガサ科アカヤマタケ属のきのこで、学名を「Gliophorus laetus」、漢字で書くと「七色滑茸」である。

 

このきのこの色彩は変化に富み、橙色、黄色、桃色、紫色、緑色など様々な色を交えた姿を見せることがその名の由来である。ごくごく小さなきのこながら、その粘性もあいまって宝石のような輝きを見せる魅惑的なきのこである。

 

撮影した個体の横に、おそらく同種だと思われるきのこが数匹佇んでいたが、傘はまったく違う色をしていた。七色どころか、まさに怪人二十面相ばりの神出鬼没感がある。

 

ナナイロを背負うものが目に美しいことは確かであるが、と同時に何か謎めいた怪奇的な側面も持ち合わせているようにぼくは感じている。

 

再び虹の話をしてみると、虹の方言のひとつとして「地獄のお釜のつる」というものがある。語源の由来や詳細は定かではないが、富山県の方で使われる呼称だという。地獄の釜といえば、十王配下の地獄直属部隊の鬼どもが、地獄に送り込まれてきた罪人をゴツゴツした鉄の金棒で茹で回しているあの巨大な釜のことであろう。空に架かるナナイロのアーチをその釜のつるに見立てているわけである。

 

血に染まったどす黒い熱湯で茹で回されている人々、釜の下で激しく揺れる灼熱の業火がその人々のもがき苦しむ姿の影を釜のつるに映し出し、そのつるの色はナナイロにも見えるということであろうか。そう考えると、虹が持つのは美しい側面だけではないという意味合いが込められているようにとれる。

 

自然現象は古くから何かの予兆としてとらえられることもあり、虹は幸運の兆しとして表現されがちであるが、その逆もまた然り。虹という漢字には「虫」偏が使われているが、これは虹がもともとは蛇や竜の一種だとされていた風習から来ている。それは世界各地に伝わる「虹蛇」からも見て取れるであろう。

 

さて、いつもの様に話がきのこから脱線まっしぐらになりだしたので、虹蛇についてはまた次の機会にゆずることとしよう。

 

まあそんなこんなで、ナナイロは幻想と怪奇に満ち溢れており、だからこそ魅力的だといえるのである。ナナイロを背負うナナイロヌメリタケも、小さな体に幻想と怪奇が満載ゆえ、ぜひ探してみてはいかがだろうか。

 

見つけたその暁には、いいことがあるかもしれないし、わるいことがあるかもしれない。ナナイロの色が何色になるのかは、アナタ次第である。

 

人生なんてそんなものよね、まみむめも。

 

 

 

蛇と虹―ゾンビの謎に挑む

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