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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

おとめ山

小説 小説-吸血鬼

ぼくと浦島さんは新宿区にある小さな森の中にいた。

 

おとめ山

 

池袋での一族の襲撃からもう6時間ほど過ぎた真夜中だった。

 

根元から捻りちぎられた浦島さんの左腕をぼくはさっきまで必死で抱きかかえてたが、逃げる途中で浦島さんはぼくの抱える自分の左腕に右手を添えて、いたずらっぽい笑みを浮かべてぼくを見てから、なぜかその右手をぼくの額に当てて十字を切った。

 

「白酒さん、どうもありがとうございます。しかしもうその腕は結構です、置いてゆきましょう。」

 

真夜中の森の中にはもちろん人の気配はまったくなく、恐ろしいほど黒一色に染まっていて、どれが樹でどれが草で、そしてどれが闇なのかということの認識が難しかった。けれど隠れ場所としてこんなわかりやすいところに隠れていていったい本当に大丈夫なのだろうかという不安が、まったくといってもいいくらいぼくには拭いきれなかった。ましてや夜明けまではまだずいぶんと時間があった。

 

「ここは、ご存知ですよね白酒さん?」

 

「はい、知っています、東京に暮らしている頃、よくここには散歩にやってきました。こんな真夜中にきたことはないし、フェンスを乗り越えて中に入ったこともないけれど、昼間でも人は少なくて、でも樹々や草たちはたくさんいて、とても気持ちのよい場所だったことを覚えています。」

 

遠くで正体のわからない鳥の鳴き声のようなキェーキェーという音がする。

 

「ここは昔、徳川家の鷹狩りの狩猟区で、一般人は立ち入り禁止だったという話ですよ。

 

それにしてもこの刹那、願わくば日が昇るまでは、あの危険な一族には立ち入りを控えてほしいものです。さてさて、万事休すといった面持ちですな白酒さん、こんな危険なことに巻き込んでしまって心は痛みますが、ねじ切れたのが私の左腕でよかった、それだけでも今はよしとしてください。」

 

ぼくは満身創痍で岩陰にへたり込みながら、正直そんな冗談に付き合って微笑む余裕など微塵もなかったのだが、顔に血しぶきを浴びてなお涼しげでかつ楽しげな表情の浦島さんを見ていると、訳もわからない希望が見えてくるような気がしてきておかしくて笑ってしまった。

 

 

 

 

将軍の鷹狩り (同成社江戸時代史叢書)

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御留山騒乱

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月白貉