ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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『漂流教室』を読んで思ったこと - 3月11日の記憶 其の一

2011年3月11日、東日本を震源とする大きな地震が起きた時、ぼくは東京のどまんなかにある高層ビルの20階で働いていた。

 

 

『漂流教室』を読んで思ったこと - 3月11日の記憶 其の一 -

 

免震構造がなされた高層ビルは、その地震で凄まじい揺れ方をした。

 

ぼくの座っていた小さなタイヤの付いた椅子が、ぼくを乗せたまま縦横無尽に床を動き回り、自分の力では止めることが出来ないくらいの揺れが起こり、はじめて「これは死ぬかもしれない。」と思った地震だった。

 

一旦揺れが止むと、ビル内の放送が流れ始めた。

 

正確な内容は覚えていないが、「地震が発生したけれども、高層ビルのため避難には時間がかかります、エレベーターは停止しているので、まずはその場に待機してください。」というような内容だった。

 

けれど、その瞬間、フロアにいる誰かが、「ここは20階なのに待機していたら逃げ遅れるぞ!!!いますぐ非常階段をつかって逃げるんだ!!!」と叫び、そのフロアから飛び出していった。

 

その行動をきっかけに、フロアにいるほとんどの人間が「わあぁぁぁっ!!!」っと言いながら非常階段に向けて走りだした。

 

ぼくはその光景を眺めながら、いま非常階段に人々が流れ込んだら、将棋倒しになって死ぬだろうなと思いながら、椅子に座りなおして窓の外を眺めていた。そのビルにはおそらく、少なく見積もっても数千人の人々が働いているのだ。

 

お台場の方向から、大きな煙が上がっているのが見えた。

 

その時、その場にいた責任者がぼくのところに駆け寄ってきて「早く逃げましょう!!」と言ったが、ぼくは断った。

 

「あんな混乱した状況の中で、あの狭い非常階段に人が押し寄せたら死にますよ、だからいまは待機してくださいと放送があったでしょう。少なくともいまは非常階段にゆくべきではないです。」

 

それからしばらくして、順次避難を開始してくださいとの放送が流れてだして、仕方がないからぼくは腰を上げた。案の定、さきほどフロアを飛びだしていった人々が、階段をほとんど降りないまますし詰めになっていた。

 

東京都心ではあの程度の揺れだからそれでも何とかなっただろうけれど、多くの人々はなんて愚かな行動なんだとぼくは腹立たしかった。

 

非常階段を下っている際にも、すごく大きな余震が襲ってきて、くっついていると思っていた階段と壁が別々な方向に凄まじく揺れた。

 

地上まで避難が終了して、余震も一旦収まったときに、責任者から召集がかかって部署の人々に指示が下った。

 

「それでは、エレベーターが止まっているので、階段で20階まで戻ってください。」

 

ぼくは「バカかっ!!!」と叫んでしまった。

 

「この状況の中でなんで20階まで戻るという指示が出るのですか???自宅に帰宅するべきでしょう!!」

 

20階に戻る理由を聞くと、その大きな理由のひとつはパソコンの電源が付けたままだからだということだった。

 

大いに異を唱えたぼくは、部署の人々から白い眼差しを向けられた。

 

「気が狂っている!」としか思えなかった。

 

そして今だって、多くの人々は何も変わってはいないのだ。

 

 

 

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月白貉