ゴーレムの住処
小学生の頃、六年間を通して何度か同じクラスになった小泉くんというすごく器用な男の子がいた。
家も近くなかったし、席も離れていることが多かったから、それほど仲良しではなかった気がするのだが、
低学年の頃はいつも彼と一緒に粘土遊びをしていた。
作るテーマはだいたい決まっていて、あるキャラクターを作り出すことからはじまって、そのキャラクターの周囲の小物を次々と作り出していって、最終的にはそのキャラクターの世界を作り出すというようなものだったと思う。
まずキャラクターを作る、その次に彼の居場所を作る、そして彼の乗り物を作る。
その後には彼の服とか鞄を作ったり、鞄の中に入っているあらゆる道具を作ったり、彼が常に携帯している武器を作ったり、そういうふうにしていろんなものを作って、時間が来るとすべてを粘土箱にきちんと整理して入れて、その蓋を閉じる。
小泉くんはいつもぼくよりも精巧な世界を作り出していて、ぼくの主観からすると完全に負けていて、とっても悔しいとともに羨ましくて、でも今思えば、それはすごい尊敬の眼差しだったと思う。
毎日毎日そのキャラクターのことばかり考えて作っているから、日に日にそのキャラクターの世界がより豊かになってゆく。
ある意味では、彼に命が宿ってくるのだ。けれど粘土だから、日が経つとひとべたになっていたり、ゴミが混じってゴミだらけになっていたりして、ああ、もういいや、もう一度作りなおそうと思って、そのキャラクターや住処や乗り物や、なんやかんやすべてをボカボカ叩いて、あるいは床に叩きつけて一塊の薄緑色の、何の変哲もない粘土に戻してしまう。
もう数十年ぶりに粘土を触って遊んでいたら、そんなことを思い出した。そして、あれは命を作り出したいという根源的な欲求の欠片だったのかもしれない。
ユダヤ教の伝承に出てくる「ゴーレム」とは、ヘブライ語で「胎児」という意味。
土塊で創りだされたその人形は作り出したひとの命令だけを忠実に聞くが、彼との関係には多くの制約があり、それを守らないとゴーレムは暴走する。
ぼくの表面的な記憶には残っていないが、ぼくの創りだしたゴーレムたちは、ある日ぼくが制約を守らなかったために暴走して、ぼくの手には負えなくなったんじゃないだろうか。
そしてそんな時には決まって小泉くんが、ゴーレムの額に書かれた文字を書き換えて、そのゴーレムを土塊に戻していたんじゃないだろうか。
「きみはまだ、命を創りだすには未熟だよ。」と言って笑いながら。
月白貉