ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)の河童の詫び証文【後編】

平濱八幡宮武内神社の宮司さんに別れを告げ石段を降りようとすると、背後の本殿からは祝詞を唱える先ほどの宮司さんの声がこだましていた。

 

宮司さん

 

というわけで、その祝詞に見送られながら、ぼくは一路「阿太加夜神社」に向かうべく、教えていただいたように田んぼの畦道をひたすら真っすぐに突き進んでいると、ズドンと巨大な国道9号線にぶつかる。

 

その大きな道を越したところにあるのが「阿太加夜川」という川で、その川を少し下ったところに架かる橋を渡れば阿太加夜神社にたどり着くとの事であった。

 

国道9号線を越えるとたしかに大きな川が目に前に現れる。そしてその川を少し下ってゆくと、その川に流れこむように少し小さな川があることを発見する。先ほど宮司さんに頂いたマップを見る限りだと、阿太加夜神社はその小さな川に面した場所にあるらしいことが見受けられる。その小さな支流のような川が阿太加夜川なのだろうかと思いながら、ひとまずその支流沿いの荒れ果てた細い道を進みながら阿太加夜神社を目指すことにする。

 

阿太加夜川

 

阿太加夜川の土手沿いに続く道は昨今ほとんど人が通らなくなっているらしく、多くの雑草に覆われてしまっていてなかなか歩くことが困難となっているのだが、ふと川を見渡すと何やら不気味な雰囲気が漂っている。その水面からいつ河童が顔をのぞかせてもおかしくないような、河童駒引伝説にふさわしいその場所にしばし心を奪われる。そして先ほど失いかけた期待がおのずと再び高まってくる。

 

そんなこんなで、えっちらおっちらと草をかき分けながら進むぼくの眼前に小さな橋が架けられているのが見えてくる。どうやらあの橋の先にあるこんもりとした森が阿太加夜神社ではないであろうか。そんなことを思いながらその橋を渡り終えたぼくの目にとんでもないものが飛び込んでくる。

 

河童橋

 

なんとそこには「河童橋」と書かれたやや真新しい石碑がたてられている。

 

ということはやはりこの川には河童伝承が残されていて、川で悪さをしていた河童の詫び証文が阿太加夜神社に保管されているのだろうか。ここで一気にテンションもあがり、さっそく神社の境内を目指して突き進む。

 

境内に到着すると先ほどの平濱八幡宮武内神社とは打って変わって人っ子一人見当たらず、あたりは静まり返っている。ひとまずぼくは境内をひと通り見て回ったのだが、河童に関する記述などはまったく見当たらない。平濱八幡宮武内神社の宮司さんによれば、ここにもおそらく宮司さんが常駐しているであろうとの話だったので、社務所を訪れてみることにする。

 

締め切られた社務所の扉に向かって「こんにちは〜。」と数回大きな声で呼びかけてみたものの、まったく反応は返ってこない。どうやら今の時間には宮司さんは不在のようである。目的の神社には無事たどり着いて、橋の袂で一瞬は河童に関する糸口が見つかったかのように思われたのだが、ここでまたしても壁にぶち当たる。

 

もしかしたら誰かがやってくるかもしれないと思い、しばらくそこにとどまってみるが、一向に人の現れる気配がない。仕方なくあきらめて神社の入口まで戻ってくると、入口付近の掲示板に一枚の張り紙を見つける。そこには「ご用の方はこちらまで」という文字と電話番号が書かれていたのである。

 

電話までしてのご用が「河童の詫び証文はありますか?」というのはいかがなものだろうかとしばし悩むが、今のぼくにとってはとても大切なご用だと自分に言い聞かせて、その番号に電話をかけてみることにする。

 

数回のコールの後、電話を転送している旨のメッセージが流れてから一人の男性が電話の向こうで受話器を取る。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

ぼくはまず、今現在神社の境内にいる者なのだが、本日は社務所には誰かいないのだろうかとたずねてみると、

 

「ああ、きょうはちょっと用事で一日出てしまっていましてねえ、いつもであれば朝から夕方までは社務所にいるのですが。」

 

というこたえが返ってくる。その話の内容からおそらくは電話に出ているのは宮司さんであろうと見当をつけたぼくは、ちょっと迷ったのだが話の本題を切り出してみることにする。

 

「実はちょっとお聞きしたいことがあって伺ったのですが、こちらの神社に河童の詫び証文が保管されているという話を聞きまして、そのことにつて何かご存知であればお聞きしたいのですが。」

 

ぼくが電話越しにちょっと言いづらそうにそう告げると、

 

「あ〜、河童ねえ、あれはまあ、そういう話があるにはあるんですが、詫び証文があるってことではないんですよ。」

 

薄々感付いてはいたものの、そのひとことに一気に力が抜けてしまったぼくは、宮司さんにお礼を言い電話を切ることにした。

 

なるほど、やはりこの神社には河童の詫び証文はなかったのか。かなりの落胆はあったものの、「ないものは仕方がない!」と口に出して笑ってみると、今回の道中もなかなかの手応えだったように感じられるのだった。

 

というわけでちょっと考察。

 

この地方では河童のような生き物のことを「河童」とは呼ばずに「猿猴」、「河虎」と呼んでいるはずなのだが、なぜかこの神社の伝承では「河童」という呼び方で話が伝わっている点から考えて、その伝承自体が他の地域のものを真似て作られたずいぶん近代になってからのものなのではないだろうかと考えられる。

 

橋の袂にたてられている「河童橋」の石碑もずいぶんと新しいものだったことからみてもその可能性が高い。ではその模倣されている大本の伝承は果たしてどこのものなのだろうか。ぼくの参考にしていた文献によれば、この近辺にもう一箇所、河童の詫び証文の伝承が残っているとされる神社がある。ひとまずはそこでの情報収集が次の目的になるだろう。

 

というわけで、残念な結果だった今回の河童探索は一旦幕を閉じるが、調査は続行ということでお開きとしたい。

 

 

 

河童伝承大事典

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カッパの生活図鑑 (ヒサクニヒコの不思議図鑑)

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月白貉