ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

玉造要害山の大天狗(後編)

石段を駆け上がったぼくの前に姿を現したのは朽ち果てた社であった。

 

玉造要害山の天狗の社

 

神社であることはなんとなく把握できるのだが、どう考えてもいまはもう何も祀られてはいないのではなかろうかという状態で山の頂上に佇んでいる。遠目ではあるが、社の奥の方に何やらあぐらをかいた石像のようなものが見て取れる。ここが天狗の根城だろうかなどと思いながら先に進むと、右手にとんでものないものがあることに気が付く。

 

巨大な大天狗の石像である。

 

玉造要害山の大天狗

 

修験道信仰のある山には、時折ではあるが天狗の像が祀られているのを目にすることがある。けれどこれほど古めかしいものには、はじめてお目にかかる。しばらくのあいだ見とれてしまう。山を歩き回って見に来たかいがあったなあとつくづく思った。

 

天狗像の周囲をじっくり見て回ったが、文字が書かれていたような形跡はあるものの、ずいぶんと古いものらしくまったく判読が出来なかった。ちなみに社の中に置かれているのも小さな天狗の石像であった。しかしその社も朽ち果てているため、どういう由縁でここに天狗が祀られているのかは定かではないが、もしこの山の神として祀られているほどの大天狗であれば大抵は名前が付けられているはずである。

 

たとえば愛宕山の「太郎坊」だったり、秋葉山の「三尺坊」だったり。

 

日本各地の山々には名だたる大天狗が存在している。

 

天狗の研究

天狗の研究

 
テングの生活図鑑 (ヒサクニヒコの不思議図鑑)

テングの生活図鑑 (ヒサクニヒコの不思議図鑑)

 

 

そしてもうひとつ、立札には「烏天狗」と書かれていたが、この造形は烏天狗ではない。普通の天狗か大天狗であろう。天狗好きのぼくとしてはそこは譲れないなあと言いたいのである。

 

まあともかく、こんな山の中にひっそりと佇む大天狗にお目にかかれたことは、ここ数年の中では三本の指に入る収穫であった。枕木山の不動明王にも驚かされたが、あれと双璧をなすくらいぼくが島根で出会った石像の中ではぐんを抜いてすばらしいものである。

 

玉造要害山の大天狗

 

というわけでこの日は大満足で山を下ったのであった。

 

と、その後の話、

 

この山の麓にある清巌寺というお寺に立ち寄ったのだが、その片隅に「秋葉大権現」と記された古めかしい石碑が置かれていた。

 

あの山の大天狗との位置関係からいって、なにか関係があるではないかと思ったのはう言うまでもない。

 

そしてもうひとつ、この大天狗に出会う数日前からちょっと不思議な体験をしていたのだった。別の場所に記したその文章を記しておこうと思う。

 

 

ここ数週間の体験と、昨日、一昨日と、少し不思議なことが続く。

 

ある場所で目にした廃れた散策マップに「天狗山」という場所が記されていた。

 

インターネットで検索してみると同地域から少し離れた場所に同じ地名はたくさん出てくるのだが散策マップに載っている場所とは全く違う。ある日、縮尺の曖昧な散策マップをたよりに「天狗山」を目指してみることにする。 それらしき山の麓まではたどり着いたものの、表示も山道への入り口もいっこうに見当たらないため、あきらめて帰宅する。

 

その数日後に図書館で借りてきた本に「神隠し」と「天狗」についての考察が書かれていた。

 

神隠しと日本人 (角川ソフィア文庫)

神隠しと日本人 (角川ソフィア文庫)

 

 

その夜、明日出かける場所の下調べのためにgoogle mapを開くとGPSの自分の現在地がある山の頂上にいることになっている。ぼくが「天狗山」だと目星をつけていた山の頂上に、現在地を示すアイコンが刺さっていていっこうに動かない。次の日、目が覚めてすぐにまたgoogle mapを開いてみるが、依然としてぼくは「天狗山」の頂上にいることになっている。その日の午後、出先の神社の裏手の山道入り口に立札が立ててあり、そこには「→」と「天狗」の文字が書かれている。それ以外に詳細は書かれていない。その立札に導かれて荒れ果てた山道をさまよい歩いて頂上らしきところにたどり着くと、確かにそこには「天狗」が立っていた。

 

ただの偶然にしては、たくさんの点が繋がっていて少し気味がわるいが、時々ぼくは不思議な体験をするのだ。

 

世の中は不思議に満ちているのである。

 

 

 

 

 

月白貉