ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

長く東京に暮らしていたぼくが、東京を後にしてから二年と少しが経つ。東京を離れた経緯には大いに諸事情あるのだけれど、まあそれはさておいて。

 

昔からぼくを知る人に言わせると、東京を離れてずいぶん人が変わったようにみえるらしいが、環境で自らを変えられるような柔軟な人間ではないようで、今も昔も相も変わらず我がままに生きている。

 

こちらに来てしばらくしてから、とある人にこんなことを言われた。あなたにぴったりの文章があるから、読んでみるといいと。宮本常一が書き残した「父の教え」という文章だった。ここではあえて引用はしない。

 

ぼくは宮本常一という人物をそれまで名前くらいしか知らなかったし、いまでもよくは知らない。けれどその文章を読んでみると、すべてではないにせよ、そしてやや趣は違うにせよ、ぼくがいままでやってきたようなことが書かれていた。もちろんぼくが好きでやってきたことだけれど。

 

どのみち長くて100年も生きられないのだから、ましてや歩き回れるのは、もとい、遊び回れるのはもっと少ないのだろうから、自分の生きた世界を見て回れるだけ見て回って、歩き回れるだけ歩き回って、楽しんで楽しんで、その絶頂で死ぬのがいいじゃないかと、ぼくは常々思っている。

 

東京を離れてから後の一年と数ヶ月は、かつては世界規模の銀の産出量を誇ったといわれる石見銀山のあった山間の小さな土地に、縁あって暮らしていた。現在その場所は世界遺産に認定されているのだが、観光地としての評判は世間からするとあまりよろしくないらしいし、正直いまいちだろうとは思うけれど、いまの日本人が言うところの観光地に、はたしてどれだけの価値があるのだろうか。ぼくにとっては、あの場所は、とんでもない宝箱だったことに間違いはないといまでも思っているし、箱の中の宝物をもっともっと活かすべきだと思っている。そのとき仕事として書いていたウェブログ石見銀山@ディープ」を読み返してみると、嗚呼なんて夢のような時間だったのだろうといまでも思い出すのだから。

 

前置きが長くなったが、いまでも場所は違えどあの頃と同じような生き方をしている。そして今しか書けないその見聞録を再び記していこうと思い、このウェブログを立ち上げることにする。

 

タイトルはいまぼくが住んでいる土地に縁のある尊敬すべき先人、小泉八雲のミドルネームをいただいて考案した。タイトルのイラストは我が親愛なる某画伯にお願いして下絵を描いてもらい、ぼくが着色した。

 

「ぼくと、むじなと、ラフカディオ。」

 

一点、十分注意してほしいのだが、タイトルのイラストは名前の順番の通り、あくまで、ぼくと、むじなと、ラフカディオであって、真ん中がラフカディオではないので、あしからず。

 

つたない走り書きではあるが、記念すべき前書きを記す。

 

某年某月某日 月白貉

 

 

 

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