ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-08-19から1日間の記事一覧

弟には見えるけれど、ぼくにはまったく見えない踏切の穴の話。

「さて、今日はですね、地元ではちょ〜有名で、そして〜、ちょ〜ぜつ危険だと言われているスーパーな最恐心霊スポット!ここ〇〇市にある踏切に来ています!!!ちなみにですね、この時間にはもうこの踏切を通る電車は終電を終えているので、電車がこの踏切…

日本の憑物の源流 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第玖話 〛

近世において、憑物についての言及がある文献を見てみると、例えば『本朝食鑑』には狐を使うための方法が詳しく述べられていたり、『善庵随筆』にもクダ狐の駆使方法に関する解説が書かれていたりする。 一方で狐使いが刑に処されたとの記述も、『筠庭雑録』…