ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-06-01から1日間の記事一覧

透明スライムベス

夢とか希望とか幸せとか、まあ言葉としてそんな具体的なものではなくとも、そういうぼんやりとした光の道筋みたいなものに関しては、ぼくはぼくなりに考えているし、手探りではあるが、きちんと這いつくばってそこを歩いている。 悪いけれど、まあべつに悪く…