ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-02-19から1日間の記事一覧

どこまでも

ぼくは東京に住んでいる頃、つらいことや、やりきれないことや、どうしていいのかわからないことがあると、あてもなく、ひたすら街を歩きました。 別にその行為に、気分の浄化作用があるとか、そんなことはどうでもよくて、ただ歩きたくなるんです。 なんで…