ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2015-12-22から1日間の記事一覧

兄弟

兄と話をしなくなったのはいったい、いつごろからだろうか。 小学生の頃、ぼくは登校を拒否しがちな子どもだった。 誰かにいじめられていたとか、勉強するのが嫌だったとか、あるいは少し大人びていて義務教育の制度に疑問を感じていたとか、とくに具体的な…