ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2015-06-03から1日間の記事一覧

お金は貸しますが、命は貸しませんよ。

死ぬこととは何かを問う前に、まずは今を生きていることとは何かを問うべきなのだが、多くの人々は日々、たぶん死ぬという区切りまでのことを、問うのではなく、ただ考えているだけなのだろう。 死ぬまでどうやって生きてゆこうか、死なないようにどれだけ生…